渡部昇一師講演「ヒルティに学ぶ 心術」

 本日(2017年7月1日)、過去の資料を見直していたら、15年前の渡部昇一師の講演記録が目に飛び込んできた。私がウィーンに到着した日、2017年4月17日に逝去された師との昔のご縁もあり、当時の資料を再校正をして掲載します。

 

講演者     渡部昇一上智大学名誉教授

日時       2002年2月26日 株式会社玉越 創立20周年記念行事にて

                    2002/02/27記 

 

 人生を幸福に生きるための基本は、その人の心術(習慣)による。それを渡部教授はヒルティから学んだ。ヒルティは1833年生まれのスイスの法律学者であり、大学教授であり、軍人であった。また敬虔なキリスト教徒でもあった。1833年とは頼山陽、ゲーテが没した翌年にあたる。ヒルティはスイスで学者としても裁判官としても一流であった。スイスの永世中立国の基礎を作った法律家でもある。明治時代、東京大学の哲学の教師であったケーベル博士がヒルティの本を学生に読ませたのが契機で、明治以降の日本の思想界や最高インテリ層にヒルティが浸透していく。この日の講演では彼の思想と日本との関わり、その時代変遷、今後の日本のあり方を解説された。

 

1.ヒルティの思想

・仕事と仕事でないのもの違い

     仕事とは         一生懸命にやると面白くなるのが仕事

     仕事でないのは   やればやるほど面白くなくなるのは仕事ではない。

                     しばらくやってみて、うんざりしてくるもの。

・仕事はまず始めてみないと仕事とならない。

 始めてみると、次に何をやるか、何をやるべきかが見えてくる。

・仕事はいつまでも準備をしていてはだめ。まず始めてみてしまうこと。

 渡部先生の学生時代の失敗例

  卒業論文が締め切りに遅れた。原因は準備に時間を掛けすぎたため。

  当時はのんびりした時代であったので許してもらえた。

    その反省で、ドイツ留学学位論文作成では、早めに取りかかり、記録的スピードの作成だと教授から誉められた。

・ヒルティは『ダス クリック(幸福論)』を著作した。そのなかで、仕事を

  持っていることが一番確実な幸福の道であると断言している。

・6日間働いて1日の休みをとる

  働きすぎもだめだし、休み過ぎもだめ(当時のキリスト教の教え)

・ゆとりとは仕事をきちんとやった時に出るものである

   6日間必死に働いて、初めて1日(日曜日)のゆとりがでる

   学校でも予習をして授業にでるからゆとりがでるのである

   さぼっとゆっくりするのがゆとりではない。だから最近のゆとり教育の考え

   は間違っている。ゆとりは勤勉からのみ発生するのである。

 

2.社会主義の影

  30年前くらいから日本の大学からヒルティの名が消えていった。今では彼の名を知る大学生は皆無に近い。それは1970年代の大学紛争、社会主義の台頭に影響している。ヒルティの思想は、自分が頑張って幸福になるとの個人の努力を前提にしている。それに対して、社会主義はこれと全く逆の考え方である。その影響が大学にも影を落としていった。

 

  1970年代当時、ソ連は世界一の国であった。世界一の金産出国で石油も豊富、森林資源も豊富であった。しかし崩壊後のソ連の実態は惨めなものであった。それは労働の精神が消えていたのが主原因であった。

  同じ例で、東ドイツの労働者達も労働とはなんであるかが分かっていなかった。それは社会主義の教育による影響である。ベルリンの壁が崩壊した後、西ドイツの資産家の多くが東ドイツに投資をした。それは昔の勤勉であった東ドイツの労働者を知っていたため、資本主義社会に戻れば経済発展をすると信じて投資をしたのだ。しかし、その投資家の多くが破産をした。勤勉でない会社に投資をしても儲からない。先生が懇意の軸受けメーカのオーナーの大富豪も破産した。その原因は、昔勤勉であった東ドイツの人が社会主義思想により、労働の思想が崩壊したためであった。一度、労働の観念が無くなると、どうなるかを東ドイツの国がそれを実証している。

 

3.習慣論

 習慣が人間そのものである。いことをやれば、次からもそれをやることがなんでもなくなる。悪い習慣をやることが抵抗となって、いい方向に向かっていく。逆も真である。仕事をやる習慣の人は、仕事が苦でなくなっている。

  1977年(当時47歳)に『知的風景の中の女性像』を初めて口述の手法で出版した。その時は3日間かかり、終わった後、頭の中が全て空っぽになり脳が萎縮したように感じて疲労困憊したが、それを繰り返すうち、最近(現在72歳)は8時間で一冊の本を口述作成できるようになり、何の苦でもなくなった。これも訓練の成果であった。

 

4.今後の日本

  今後の日本では社会主義的な要素が崩れていき、脱社会主義的な方向に向かう。規制緩和がその象徴である。徳川時代から明治時代になったようになる。徳川時代は規制の時代で、変化が禁じられた時代である。明治時代は自由資本主義で、規制緩和の時代であった。それがロシア革命の影響で日本にも悪影響が及んできた。日本人は自由にすれば、能力を最大に発揮する人種である。これからは能力を伸ばした人が成功する。21世紀は個人の時代の到来である。そのために、

 ・正しい仕事の本質を確立する。

  ・自分は習慣のかたまりだと理解する。

  ・仕事に対する正しい見方をする。

 

5.ヒルティーの人生

  ヒルティは「幸福論」を書いて、その通りの人生を歩んだ。77歳で死ぬ直前まで毎朝、早く起きて、著述活動を続けた。その日の朝も、朝の執筆活動をして朝の散歩の後、珍しく疲れたといってソファーに横たわって、そのまま眠るがごとくに息を引き取った。当時の77歳は、今の97歳に相当する。

 

エピソード

  玉越の高木社長のご配慮で、渡部先生に別室で会わせて頂いた。先生のデビュー作の『知的生活の方法』と『続 知的生活の方法』、『知的風景の中の女性』にサインを頂いた。昭和51年と52年発行の初版本である。ずっと私の愛蔵書になっていて、私の手垢のついた本であるが、25年経ってそれに先生がサインをするご縁が生じた。以前から『知的風景の中の女性』は絶版になっていて、新規に手に入らないのを残念に思っていたが、今回、渡部先生より別文庫で出版されていることを教えられた(講談社学術文庫に収納)。これが先生の初の口述出版書であることも知った。

  これはTA(対人交流)の歴史的実例のような本である。TAの副読本としてお勧めです。この書では、幼児期での母親の存在の大きさと大切さを説き、ソ連の共稼ぎ家庭の悲劇やアメリカの共稼ぎ夫婦の子供の事例を記載している。出版当時、キャリアウーマンからの総反発を食らい、書評欄を賑わした。この書の出版元(主婦の友社)がキャリアウーマン支持派の出版社であったのは興味深い因縁である。最近の少年の凶悪犯罪や若い人の言動は明らかに親の教育の失敗と見て取れる事例があり、この著書でそれの洞察性に感心させられる。そういう観点から、管理職、経営者の方には、お勧めです。

 

 高木一夫会長と高木和美社長のご尽力で講演を聞かせて頂いた。また渡部先生やヒルティとのご縁も頂いた。感謝です。このヒルティの詳細は渡部昇一著『渡部昇一的生き方  ヒルティに学ぶ  心術』致知出版(1997)1600円をご参照ください。

 以上は15年前の渡部昇一師の講演録であるが、全く古さを感じさせない。師の教えを大事にしていきたい。渡部昇一師のご冥福をお祈りします。(2017-07-01)

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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